研究部長挨拶

研究部長 秋山 朋也
成城学園初等学校

「モノとぶつかる価値」

 秋山朋也と申します

 今期から研究部長を仰せつかりました秋山朋也と申します。簡単に自己紹介させていただきます。福島県いわき市育ち浜っ子です。夏は毎日海で泳ぎ、泳げない時期は山や川で遊ぶ。宿題はほとんど未提出。海岸沿いで漂流物を拾っては形や質感の面白さや美しさに魅了される。引き出しの中は一見ゴミに見えるものがぎゅうぎゅうに詰まっている。気がつけば、吸い寄せられるように美大に進み、この無駄に思える経験が、実は大事だったのではないかと感じました。自然の中で遊びながら感じた自分なりに感じたよさが、表現を意識する上で少しずつ認識され大きく世界の見え方が変わったの覚えております。

 センターと出会った当時は建前で議論が進む研究会ではなく、本音で言い合える熱い研究会を探していた頃、岡先生に紹介していただき、夏の研究会に参加させていただきました。その研究会では熱いを通り越して、火傷するような発言が飛び交い、その口から火を吹いていたのは春日先生でした。熱い研究会ですねと岡先生に言ったところ「ようこそ造形教育センターへ」と言われ、気がつけば、センターの役員。そして造形教育センターと10数年関わらせていただき多くを学ばせていただきました。センターに関わる前と現在ではだいぶ美術教育、造形教育の考え方はもちろん、世界の見え方が大きく変わりました。このような大きな影響力を持つ研究会の軸として2年間携わることに正直震えております。まだ発揮したことのない自分の力を開拓していきながら、センターの仲間と共に研究を進めていきたいと思っております。

研究テーマについて

・モノに着目した理由

 今期の研究テーマ「モノとぶつかる価値」について説明させていただきます。前述した自己紹介を読んでいただければ、なんとなくお気づきかもしれませんが、世界との接点においてモノを介して学ぶことが多かった自分としては「モノ」という視点から考えたかったにつきます。「モノ」といっても様々なものが対象になるかと思いますが、自分としてもどこまでが「モノ」として範囲に含めるのか、正直なところまだはっきりしておりません。現時点の考えでは「モノ」とは「感覚を通して実感できる物質」としていきたいです。どこまでが「モノ」なのかを議論するより、なぜ今「モノ」なのかを議論した方が「モノ」の輪郭が少しずつ見えてくるはずです。自分の特徴として、曖昧に物事を進めることが多々あります。もしかしたら、はっきりしてほしいとモヤモヤする方もいらっしゃるかと思いますが、それぞれの中に答えがあるかと考えております。その答えは造形教育センターの研究会で出し合っていただければ、少しずつ見えてくるものがあるではないでしょうか。

・ぶつかる価値って?

センターの役員に初めて研究テーマを伝えたときに、「ぶつかるとは?」の問いが多方面に広がりました。役員から出たイメージとしては以下の通り。

・モノへの没入
・モノへの抵抗感
・モノの変容を生む衝撃(エネルギー)
・ぶつかるのであれば助走が必要? 
などなど。

この「ぶつかる」の表現によく直球で質問されます。実はこの「ぶつかる」の表現は昔のセンターニュースである方が使っていました。「モノと関わる」ではなくて、なぜぶつかるなのか。自分なりにその記事を読んで「ぶつかる」の意味を解釈してみました。このぶつかるの中には、意図的と無意図的、または作為的と無作為的の相反する動きが含まれていて、上手く表現と鑑賞入り混じった様子を端的に表していると考えています。この「ぶつかる」の解釈も話題に皆さんと飲みたいところです。

 最後になりますが、3.11以降強く感じたことがあります。それは愛着というものです。一般的には「モノ」は壊れたら治すか、新しいものを買えば解決すると思われがちです。「モノ」が元通りになれば、いろんな想いも元通りに戻るのではないか。自分は実際に実感しましたが自分の実感という曖昧な根拠になってしまいますが元通りにはならなかったです。それが何を意味するかと言うと「モノ」にはいろんなものが宿るということです。人は「モノ」を作り出しますが、その「モノ」は人を生かしている。この循環の中に造形教育の今後のあり方が、可能性が、価値があるのではないでしょうか。皆さんとともに造形教育を再考していけたら幸いです。