6月23日の月例研究会は絵画作家の小山篤氏とギャラリストのファビアーニ美樹子氏、作品の作り手側と売り手側、双方の話を軸に実施しました。
小山氏のお話は、難解な数学の話から始まりましたが、コンピューターやプログラミングの話題を通じて少しずつ確認することができ、数学に対するイメージがだいぶ更新されました。最も印象に残ったのは、数学は学べば学ぶほど、どんどん複雑になり、その抽象度が増していくということです。複雑な事象や情報を抽象化して用いることで私たちは解を求めやすくなった反面、学問として数学を極めようとするときには、その抽象化のプロセスにあるブラックボックスの中を理解するという難しさが生まれる。そこを理解するためには、脳と身体を総動員する人間としての経験が必要であると言われており、こうすればいいというような画一的なメソッドのようなものはまだ確立されていないとの事でした。この抽象化を理解する経験にあたる部分に小山氏の表現の核となるところが存在するのではないかと思いました。
後半のファビアーニ氏の講演ではフランスのギャラリストとして見えてきたことを中心に語っていただきました。自身の作品に対する価値基準を持つ人が多いフランス人と少ない日本人といったことが話題の中から伝わってきました。このような課題がどこから生まれてくるのか。お話の後半には、この課題に対する手立てとして何が必要かといった話題に移行していきました。フロアの皆さんも巻き込んで、日本における美術館の現状と課題を確認する中で、現在では様々な活動が展開されていることもわかりました。感じとったこと、考えたことをもとに創造性を発揮する活動を通して自分らしさを追求することが重要であると、ファビアーニ氏の話を通じて改めて痛感しました。
研究会後に数学の始まりは誰から始まったのかと小山氏に聞いたところ、数を数え始めたのが始まりとするならば、世界でほぼ同時に始まったのではないかということでした。数学の世界は瓶底メガネのイメージがありましたが、ロマンに満ち溢れている世界でもあるなと感じました。全体を通して、ものを媒介して対象世界と関わる中で人間が主体性を発揮することの重要性が改めて浮き彫りになったように思います。フロアにいた山口先生がおっしゃっていた「つまるところ、人間は自分から逃れることはできない」という言葉が、心地よく耳に残っています。