研究部長挨拶

研究部長 
東京学芸大学附属小金井小学校

守屋 建

「 研究と天邪鬼

 先日,静岡に旅行に行ってきた際,富士見焼きそばのお店に入りました。運転中に,折角静岡に来たからみんなで富士見焼きそばを食べようとなり,焼きそばを食べるつもりで入ったお店でした。みんなが焼きそばを注文していく中でただ自分ひとりお好み焼きを注文してしまいました。単純にお品書きを見てお好み焼きが食べたくなってしまっただけなのですが,それを見て先輩に「天邪鬼だね」と言われてしまいました。

天邪鬼という言葉には否定的な意味も多分に込められているでしょう。しかし,ひねくれた見方というのは,言い方を変えれば対象を相対化していく批判的思考力にもつながるものです。研究は迎合的にはできませんし,かと言って,常に批判的に考えていてもできるものではありません。

安斎勇樹氏と塩瀬隆之氏はそれを素朴試行と天邪鬼思考という言葉で語ります 。素朴思考とは問題状況に対して素朴に向き合い問題を掘り下げていく考え方で,天邪鬼思考とは目の前の事象を批判的に疑い,ある意味ひねくれた視点から物事をとらえる思考法としています。それぞれの効果を認めつつ,どちらかに傾斜せずにこの二つの思考のバランスが重要であるともされています。

天邪鬼思考的に研究会の在り方を考えると,「つまらない研究会とは何か」,「学習のない研究会とはどのようなものか」,「子供がつくりたくなくなる声掛けとは」,あえてひねくれた視点から問いかけることで問題の本質を立体的に捉えることもできるようになるでしょう。それが天邪鬼思考から導き出される効果です。

世の中,素直に物事を受容していくだけでは生き難くなってしまう場面も増えてきました。様々なメディアから流れる真偽不明の情報の過多。他人から言われるがまま話を聞いていたらいつの間にか危うい道に突入しているということも。ただただ生活をしていくためなのに,常に情報を相対化し分析し本質を考えているということを頭の中でしているのかもしれません。(そちらの方が生き難い世の中だという方もいるとは思いつつ)その中で一つ天邪鬼的に研究を進めていくことも求められていることかと考えます。

上述した自分の経験はただただ協調性がないだけでしたが。

今期,研究部長の任命を受けました。造形教育センターには18年目の関わりです。これまで研究部,情報部,事務局などを多くの仕事に関わらせていただきました。そのため俯瞰してセンターを見ることができたと思います。これまでの自分の経験を生かして研究を推進していく所存です。一人ひとりがセンターだというのは自分が造形教育センターで初めて役員になった時の委員長,辰巳先生から聞いた言葉です。今期も全員で研究を進めていけるように自分は土台をつくりつつ,その成果は役員,会員の皆さまの協力の上で成り立つものと考えています。本来であれば,夏の研究大会が終わった後から研究部長としての仕事が始まり,12月の月例研究会では提案を行っているものと思いますが,遅れてしまった分は密度の濃い研究,研究の中身で埋め合わせていくつもりです。

社会の様々な問題を子供たちは担っていきます。その中には自分たち大人が生み出した問題も少なくありません。教育を通じてそのような問題を子供が解決を担っていけるようにすることが我々大人の役割と言えばそうかもしれませんが,大人は大人で責任を持たなければならないとも思います。そもそも子供と大人の境も曖昧です。何をもって大人となるのか,何を語れるようになって大人となるのか。制度上は18歳年齢から成人となるという節目の変化もありました。成人を大人とするならその境は変えられるというコトでしょうか。

社会は子供と大人の双方向でつくり出されていくものです。子供も一人ひとりが社会の構成員であることは間違いありません。この考えが今期の研究の根底にあります。造形教育を語るうえで,また,語ることで現代社会をうつす子供を再発見していく必要があると考えています。「社会」とは,「子供」とは,「デザイン」することとは,「造形教育」とは,そして究極的に「教育」とは何なのか,造形教育を通じて我々は子供たちに何を伝えていくのか。我々を取り巻く環境は迎合的に考えていくだけはなく,疑問をもって考えていくことの効果を当たり前のように示してくれるようになってきました。急激な社会の変化と夥しい情報の中,どこまでも天邪鬼に考えていく必要があると思います。