学習会

造形教育センター332期 7月夜の学習会「夜も造形遊び」の報告

7月の夜の学習会は夜の教室で行われました。廊下には「左右」と書かれた半紙が並び,掲示には係活動の名前と子供の氏名。「全力でベタに乗っかる」環境であったと思います。学校というものは同世代が共に生活をする環境であるがゆえに,後々まで語り合えるベタの共有体験が多くあります。そんな学校に対しても社会から様々に問題提起がなされるようになってきていて,学校制度や学校文化に対して批判的な目が向けられることも多く,その中にはこれまでよしとされてきたベタな学校体験も含まれます。今回は「学校するからだ」の著者である矢野利裕先生をお迎えし,対立する二つの間にあるミラクルな感触を味わうためのヒントを得ることがねらいです。

矢野先生のお話には,学校に集まり,一緒に生活をしたり学んだりするよさがあふれていました。AIの話,「走れメロス」などの文学や専門の国語の話,学園祭のエピソードなど,話題も広がりました。矢野先生自身,美術も好きで楽しんでいるそうでしたが,提出をしていないということで成績が下がったという話から評価についての話題にもなりました。

学校というのは,もちろん,どうしようもなく来たくない子がいた場合,無理に学校に来る必要はないかもしれません。しかし,それでも学校で生活すること,学ぶことのよさを感じてもらえるといいなと,教員の立場からは考えます。

矢野先生の著書に記されているハンドメイド先生にもご登壇いただき,実践を報告してもらいました。バンクシーのような壁にはられた人型のシルエット。それが学校の景色を一変させるような実践です。ハンドメイド先生は小さな社会である学校で,バンクシーのやろうとしていたことを追体験させると同時に,学校で過ごすというよさを最大限引き出す素敵な実践でした。それ以外にもハンドメイド先生の実践の素晴らしさは,学校全体を巻き込み,子供や教職員も美術文化の中に巻き込んでしまうことにあります。そのエネルギーや魅力は,実践する際に土台となり,社会とつながる子供のデザインの一つを生み出していると考えています。

終盤,矢野先生のお話の中に,能力がそもそも個人の持ち物であるということが見誤ってるのではないか,という話がありました。社会とつながるということが一人一人の子供にとってどのような意味があるのかを確認することになる話題でした。

こんなお二人のいる学校で青春時代を過ごしてみたいと思いました。

(文責 守屋)